はじめに
7月1日に公開された女子枠についての議論がアベマプライムで行われた。今回はこの議論についての私の見解と女子枠という存在自体への見解を述べる。
長いので私見だけでも読んでいってください。
アベプラ放送内容の解説
女子枠を設ける目的は女性の科学分野参入促進を促す目的である。日本はOECD(ヨーロッパ諸国を中心に日・米を含め38ヶ国の先進国が加盟する国際機関。貿易、開発援助、持続可能な開発といった様々な内容を分析・検討する機関)の中で女性研究者の割合が日本は17.5%で最下位である。この問題の打開を目的に女子枠は設けられた。
以下女子枠推進の内容は坂田氏と高橋氏(高橋氏は推進ではなく、手段の1つとしてみるべきであるという立場だが、議論ではこちらよりの考えで、こちら側の意見を述べていた)が述べた内容である。
女性の割合が増えることによるメリットはおおまかに2点ある。
1点目が妊娠・出産などの理由で研究から離れた際、その後の仕事の復帰がしづらいなどの問題が女性の割合が増えることによって解決される可能性があることである。これにより、優秀な女性研究者が働きやすい環境が生まれ、日本の科学分野の進歩を促す可能性がある。
2点目が問題に対する見方の多様化である。男性と女性では人生の経験や得意分野が違うため、女性が増えることによって現在悩まされている問題の解決や焦点の当たってない問題への取り組みが期待される。
女性の理系学部進学の問題として議論されていたのはおおまかに2点あり、
1点目が親や教師が現在の理系学部に対する知識が浅く、女性が理系学部に進学することに対して反対することである。
2点目が女性の理系分野の労働環境が悪いことである。前述した通り、妊娠・出産などの理由で研究から離れた際、その後の仕事の復帰がしづらいなどの問題があり、女性が活躍しづらい労働環境である点だ。
これらの問題で進学が減り、おおまかに2点の問題点が生まれているとされた。
1点目が労働環境の悪化(前述したため、省略)。
2点目が視点の多様化がなされないという点である。前述した「男性と女性では人生の経験や得意分野が違うため、女性が増えることによって現在悩まされている問題の解決や焦点の当たってない問題への取り組みが期待される」という点が現在ないため、日本の科学分野の遅れがあると指摘していた。
女子の理系分野の割合は増えるべきであるという前提のもと、國武氏はこれらの意見に対して反対意見は主に5点出された。
1点目がそもそも理系学部進学に対し壁があるのは「女子」という枠だけではないという点である。地域による壁、経済状況よる壁など多くの障壁があるというのに「女子」という1領域にのみ補助するのは間違いでいくつもの逆境を点数化し、多くの逆境に対し、保護を与えるべきであると述べた。
2点目が女性の進路に対する干渉という点に対し、性別による親などからの干渉は女性は減り、男性は増えているいう内閣府の出したデータをもとに批判した。
3点目は女子枠そのものが憲法違反、差別なのではないかという点である。
4点目は男性の優秀な人材が女子枠により取りこぼしてしまうリスクもあるという点である。
5点目は女子枠を増やすだけでは偏見という部分の改善は難しいという点である。
討論は30分間にものぼり、様々議論されたが大まかにこのような議論がなされ、最終的に司会の田村氏がとりあえず女子枠を試してみて、だめだったら、変えていけばいいという内容の発言がなされ、これに対し、國武氏は女子枠だけではなく、逆境に対し、多角的に保護すべきであると述べ、小原氏は試しというがそれに巻き込まれる人の人生もあると反対意見を述べたが、やや女子枠肯定的な内容で議論は終了した。
アベプラの議論に対しての私見
今回私がとる立場は女性の理系進出促進は賛成だが、女子枠は反対であるという立場をとる。
それを踏まえて批判する箇所は3点である。
1点目が司会者の田村氏の受験に対する知識の浅さである。受験は誇張なしに人生をかけた戦いであるのにその場で何かを試験的に行う、まして、合否に直接かかわる内容を試しになどといえる人間を司会者として選ぶべきではない。
2点目が女子枠推進派の根拠の甘さである。論理飛躍やまったく根拠になっていないものを根拠として提示したりと準備の甘さが目立った。そのうえ、途中、印象や経験で述べる議論とも呼べない非建設的な会話がスタジオでなされたりとひどいものであった。
3点目は女性の割合が低いことが日本の科学技術の低迷の原因であると高橋氏は述べたが、これはむしろ女子枠の反対を押す根拠である。女性が増えることによりそのなかの有能な女性が科学技術を伸ばせるというが、その結果男性が研究者の道が閉ざされてしまったら、なんの意味もない。むしろ日本の科学技術発展を目指すならば、女性に男性を実力で押しのけて合格できるように女性の関心を引く努力をすべきであって、女子枠を設けることは悪手であるとい言わざる負えない。この点でも準備不足や論理の練り不足が見える。
女子枠に対しての私見
これが本題である。ここを語りたかった~。
女子枠を推進することは差別を推進することである
まず、前提として女子枠は明らかに男女平等の原則に反した差別的なものである。私立ならましてや、経済状況などの問題に対して解決する役割を担う公立・国立が設けるなどあってはならない。
つぎに誰がこの女子枠のコストを支払うかという点である。女子枠を設けることにより女性割合をあげたい、つまり恩恵を受ける大学側がコストを支払うのは当たり前であるが、最も多くのコストを支払うのは受験を行う男性受験生である。受験は人生をかけた戦いである。どこの大学に行くかは人生を左右する。そのため、1年間、人によっては3年以上も勉強し、その1日にすべてを賭けるのである。その結果が本人が予期しない、ましてや制度による妨害があっていいわけがない、そこに差別があっていいわけがない。昔、大学が医学部に点数の低い男性を入れ、点数の高い女性を落としたということが漏洩し、問題になったが、それを今、ただもっともらしい理由をつけて公然やっているだけである。
長くなったが、私が言いたいのは私たち大人の世代が作った問題のコストをこれから自分の人生をよりよいものにするために努力する若者に支払わせるのは大いに間違っている。
つぎに女子枠を作ろうとする作った大学運営はあまりに無能すぎるという点である。女性の割合を増やしたいなら、女性向けのプロモーションをしたり、女性受けがいい授業を設けたり、イベントを実施したり、高校などに説明会するなどをするべきである。それらの努力を怠り、差別することにより女性割合を増やそうなどあまりに愚かである。日本の科学技術の低迷の原因はむしろこういった怠慢な大学運営にあるのではないか。
努力が足りないというのは女子枠推進派もである。目的が女性研究者の割合増加ならば、女性を優先的に雇う理系分野の会社を創設したり、SNSを用いて広報するなど、もっと努力するべきである。その努力なしに、罪のない若者だけに女性割合が少ないことのコストを支払わせるのは大いに間違っている。
また、女子枠で困るのは男性だけでなく、女性もである。女子枠がもし仮に増え続けたらどうなると思う。女子は文系よりも理系に進学するべきとなるのである。文系よりも収入のある理系に行くほうが将来は安泰なため、心配を減らすために親は行かせたい、同じ偏差値なら文系よりも理系のほうが学歴は一般的には高いとされるため、塾や学校も行かせたい。女子は文系よりも理系に進学させるという社会構造ができる。なんということだ、女性の割合を増やすアファーマティブアクションとして行った女子枠が新たな差別を生んだ。
まとめ
もし、女性割合を増やしたいなら、もっとやるべきことがある。そして、導入に絶対的な替えがきかないメリットがあるときにすべきである。人の人生を直接的に捻じ曲げるような行為がこうも軽々と行われているのはあまりに問題である。アベマプライムももう少し内容やキャスティングを考え直さなければ、今のオールドメディアと同じ扱いを受ける日も遠くないだろう。
おわりに
今回このような内容を自分が書いたのは女子枠があまりに許せなかったからである。自分も大学進学をしたとき、かなり勉強したため、もし、自分が女子枠のせいで落ちていたら、ぶつけようのない怒りがわいただろうと考えたからである。差別をするべきではないという高尚な内容を伝えたいのではない。何人も他人の人生を直接的に捻じ曲げることは許されないのである。まして、たかが大学運営程度が若者が飛び立つための滑走路を塞ぐようなことをするのは許されないのである。
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